たけだ通信 No.124

武田病院グループが発行する情報誌です。 グループの活動報告や各施設からのインフォメーションの他、インタビューや健康に関する記事等、充実の内容です。


>> P.16

京の医史跡を訪ねて京の医薬づくりと秦家住宅秦家住宅で公開される明治9年の医薬品販売番付「京都売薬盛大鑑」。売上トップたる東(龍)の大関は太子山町奇應丸(秦氏)です。番付表はご承知の通り関取のランキングですが、その明快さと合理性で実に様々な分野に応用され「見立番付」として我々を楽しませてくれます。江戸期には、名産品や名所、果ては「仇討」「有りそうで無いもの」「無さそうで有るもの」などユニークな番付もありました。医療においては、医者・蘭学者、そして薬の番付が代表と言えるでしょう。明治9年に発行された『京都売薬盛大鑑』には大小250近い銘柄が並び、いかに医薬づくりが京都で盛んであったかが分かります。栄誉ある東の大関(当時最高位、売上トップ)に格付けられたのは、太子山町奇應丸。製造・販売は油小路仏光寺下の秦家です(写真左下)。秦家は元禄13年(1700年)の創業で屋号は「松屋」。小児用の丸薬「奇應丸」を製造・販売しました。奇應丸は、麝香、熊膽、龍脳、沈香、白朮を主成分とし、夜泣きや嘔乳、ひきつけなどに効能があるとされる製剤です。秦家では、非常に小さな丸薬にして金箔※で包むなど飲みやすさに工夫を凝らし人気を集めました。製法は一子相伝による秘中であったそうです。時代は移り、近代化の波は薬種業の現場にも訪れます。昔ながらの家庭薬づくりは次第に姿を消し、秦家も十二代與兵衛が他界した昭和61年(1986年)、惜しまれながらも暖簾を畳むことになりました。現在は長女・秦めぐみ氏が家を受け継ぎ、京の習慣や食文化、町家の暮らしなど様々な文化発信を行っています。番付の原版や製薬道具の多くは京都市歴史文化博物館に寄贈されましたが、2025年にはこれらが秦家住宅に里帰りし、薬種業を営んでいた当時の様子を再現した特別展示が行われ、大きな話題となりました。今も『秦家住宅』を訪れると、手作業で行われていた当時の薬づくりや商いの様子を感じることができます。※金箔による当時の奇應丸が現代にも残っています太子山町奇應丸の暖簾を掲げる秦家住宅(京都市下京区仏光寺下ル太子山町594)薬種業を営んでいた当時を再現した秦家住宅の帳場(写真上)と小児薬「奇應丸」のレシピ・材料の現物(同左下)。いずれも『秦家住宅公開30周年記念特別展示「太子山奇応丸」製薬道具の里がえり展』での撮影。秦家・奥庭の降蹲踞と切支丹燈籠。川端康成も取材に訪れ、長編小説「古都」の冒頭にこの庭が登場します。16TAKEDA


<< | < | > | >>