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たけだ通信 No.106(1月発行)

武田病院グループ専務理事 武田隆司

プチ闘病記

photo_senmu.jpg【エッセー】
武田病院グループ 専務理事
医療法人財団 康生会 理事長
 武田 隆司

■プチ闘病記2014

謹賀新年。
今年もよろしくお願いいたします。

形式通りに始めてはみたものの、現在はまだ12月初旬。
おせち気分はほど遠いし、気まぐれ解散の選挙結果も出ていない状態なので得意の時事ネタも書けない。(何となくわかるが)
というわけで、新年号にもかかわらず今回は昨年経験した個人的な出来事を書いてみた。日記調のコラムですので興味のある方だけお読みください。

【Case1】
春頃だったと思うのだが、ふとした時に上口蓋に何か膨らみがあるのを舌で触れて感じた。
「気のせい」のはずは無いのだが、そう思い込んでそれ以上考えないように努めていた。
しかしながら、膨らみを押すと少し前歯が動く気がしないでもないという状況が徐々に進行してきた。
実は私の前歯は若き日の荒行(?)によって4本が折れており差し歯となっている。
充分に嫌な予感が働く中、重い足取りで康生会クリニックの歯科を受診した。
内心では歯茎を針で穿刺して中に貯まった内容物を抜き取ることになるんだろうなぁ、痛いだろうなぁ、などと考えていたのだがこれが甘かった。

レントゲン撮影の後、先生曰く「差し歯のうち2本の芯が腫瘤に触れており、芯を一度抜いて炎症が治まるのを待って手術で切除しなければいけません」

えっ...?
「それってかなり大事なのですか?」
「ハイ」

というわけで治療が始まった。
その後CT等の精査をした結果、差し歯自体は2本抜くものの、芯まで抜くのは1本で済むことが分かった。
そのような処置を1ヶ月間続けた後の6月10日、摘出術を受けることとなった。

その後の予定も詰まっていたので、全身麻酔にも関わらず宇治武田病院では無理を言って当日入院・当日退院の予定にしてもらった。

それまで人生で三度の手術を経験していた。
二度の腰椎々間板ヘルニア摘出術と急性虫垂炎切除術(いわゆる盲腸)なのだが、それらはどれも腰の麻酔(硬膜外麻酔)であったため、これが人生初の全身麻酔であった。
研修医時代には京大病院で半年間イヤというほど麻酔をかけたのだが、いざ自分がかかる立場になってみると...これがものの見事に落ちた。

感覚的には、看護師さんの「眠くなりますよー」と言う声を聞いた直後に「終わりましたよー」との声。
「あれ?これって夢なのかな?」というのが唯一の感想だ。
医学の進歩って凄い!

おそらく術野に使用されていた局所麻酔剤の効果も素晴らしかったのだろう。
ほぼ痛み無く夕方には退院の運びとなった。
帰り道では調子に乗ってコンビニで酎ハイなどを買い込んで、帰って何本か飲んでみた。
すると翌日はあまり見たことの無い丸い顔が鏡に映った。
更にその翌日には目の周囲まで内出血が広がり、まるで判定負けしたボクサーのようになってしまった。
「術後の飲酒は良くありません」過去に何度も患者さんに説明したこの言葉が正しいことを、この日期せずして証明することになった。

その日は大雨の中、眼鏡にマスクという怪しい出で立ちで医師会の仕事にて福知山までJMAT講習会に出かけてきた。
水害の倒木による渋滞に巻き込まれた帰り道では自然に口をついて言葉が出てきた。
「全く...人使いが荒い」


【Case2】
もうかれこれ三十年ほど格闘技を続けてきたので身体のアチコチを傷めているし、そもそも少々の痛みは気にしないように「昭和の武道」では教え込まれてきた。

先述の前歯全損や腰椎ヘルニアはさすがに放っておけなかったが、各種の打撲、肋骨や足趾の骨折などは放置して生きてきた。すると昨年ついにツケが回って来た...。

学生時代の練習写真でテーピングをしていた事から考えるに、かなり以前から左手関節は傷めていたのだろう。

しかし昨年初め頃から尋常ではなく痛みが増してきた。
春以後は常にテーピングかサポーターを必要とする始末。
レントゲンでは石灰化が始まっていた。
それでも奇跡を信じて装具を着けて粘ってみたのだが、洗髪や洗顔が出来ず身体も上手く洗えない、ネクタイも締められなければ爪切りも不自由、挙げ句には腕がもげ落ちるような痛みで目が覚めることが度々起こるようになり完全に日常生活に支障を来してしまった。

仕方なく宇治武田病院の勝見院長に診て頂いた結果、専門的な内容なので詳細は割愛するが、先天的に一つの骨が長く、ここに繰り返しの外傷が加わったことによる変形が生じておりステージは末期まで進んでいるとのことであった。

日々「部位鍛錬」として壁叩きなどを日課のようにしていた身として、思い当たる節は余るほどある。

手術は更に変形が進行したとしても同じ方式なので急ぐ必要は無いと説明して頂いたのだが、まだ動ける時間を無駄にしたくないとの気持ちが強く、なるべく早期に受けることにした。

11月11日、武田病院での外来を終えたその足で宇治武田病院へ入院。

翌日の朝から手術となった。
つい先日人生初の全身麻酔を受けたほんの五ヶ月後に、再び同じ場所で同じ麻酔を受けることになった。

さすがに二度目ともなると前回とは違う景色が見えるはずだと思っていた。
結果は...看護師さんの「眠くなりますよー」と言う声を聞いた直後に「終わりましたよー」との声が聞こえた。
麻酔って凄い!

しかし、その後の経過は前回と全く違うものであった。
手術直後は局所麻酔のおかげで痛みはさほどでもなかったのだが、左手全体の感覚が消失しており、それがとても気持ち悪くて何度も右手で触って左手の存在を確認した。
夕方過ぎ頃には感覚が戻ってきたのだが、今度はそれと入れ替わるように猛烈な痛みに襲われることになった。
とても熟睡などできず、ウトウトと微睡んでいた際には左腕を関節技で極められた夢を見てタップ(参ったの合図)する音で目覚めてしまった。

そんなこんなで身動きするのも辛い数日間を経た術後三日目の11月15日、スポーツ関連の市民公開講座で司会のために医師会館へ向かい、そのまま退院した。
やつれた顔でギプスシーネと三角巾を首からぶら下げた中年男が、健康についての話題で冒頭に挨拶する姿はなかなかシュールなものだったと思う。
医師会館へ向かう道中、車の中では自然に口をついて言葉が出てきた。
「全く...人使いが荒い」

さて口蓋腫瘍の際はここで話が終わったのだが、手関節の手術(Sauve-Kapandji法)ではこの後も固定やリハビリが続く。
現在は術後四週目。面白いことに週単位で徐々に変化を感じている。
一週目はとにかく腫れが強く、痛みもとても強いため常時鎮痛剤の内服が必要で、三角巾と右手の支えが無ければ動くこともままならなかった。
二週目は随分腫れが引いてきて、鎮痛剤は時々服用、三角巾を外しての移動が出来るようになった。
三週目になると装具を着ければ日常生活はほぼ可能、武田病院で受けているリハビリでの手関節可動域も徐々に改善してきた。
このように概ね順調な経過をたどっているのだが、一つ問題がある。
左手関節に負荷をかけられないということはつまり左腕のトレーニングが出来ないということになり、おそらくこの三十年間で初めて腕を鍛えない三週間を経験することとなった。
結果は...まるでシオマネキ(片方の鋏脚が極端に大きいカニ)状態となっている。

ともあれ、いささか不自由ながら昨日より今日の方が良い状態となる日が続くのは気分の良いものだ。今しばらくはこのリハビリ生活を楽しみたいと思う。

この世に生を受けて五十年。
あちこちガタも来ておりますが、都度メンテナンスを加えて元気に一年乗り越えたいと思いますので、今年もご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

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