ISO14001認証取得「いやしと環境とサイエンス」記念講演会
患者さん中心の医療を目指して、病院環境の整備を進めている武田病院グループの「ISO14001」(環境管理国際規格)取得を記念する特別講演会が2月22日、京都市南区のマリアージュ・グランデで開かれました。
武田病院グループでは1996年に健診センターが国内の医療機関として初めて「ISO9001」を取得、翌年にはさらに「ISO14001」の認証を受けました。 今回は病院施設への拡大した環境整備の一環として、康生会武田病院が拡大審査(日本能率協会審査登録センター)を受診し、1月30日付けで京都の病院では初めて「ISO14001」の認証を得たものです。

聖路加国際病院理事長の日野原重明氏の講演を前に、武田病院グループの武田隆久理事長と吉田弥太郎医仁会武田総合病院院長代理が、 「日野原先生は京都帝国大学(現京都大学)を卒業されるなど京都と深いつながりがあります。 医の心、医の原点をテーマに看護教育に尽くされるほか、75歳新老人説を唱えられるなど、91歳にして大活躍されています。 病院環境を考える一助にしていただきたい」と挨拶。 武田隆司専務理事からも、グループのISO14001取得に至る経過と、今後の取り組みについての講演も行われました。
日野原重明氏の講演「いやしと環境とサイエンス」内容は次のとおり

今日は武田病院の主催で「ISO14001」という環境マネジメントシステムの認可を得られたことを記念して、「いやしと環境」というテーマにしました。
まず、私が非常に感銘を受け、私自身の考え方を変えてしまった大切な言葉があります。 1965年にエール大学から出版された、ルネ・デュボスの書いた「マン・アダプティング」(人間と適応)の中の有名な言葉です。 それは「健康な状態や病気の状態というものは、環境からの挑戦に適応しようと対処する努力に、生物が成功したか失敗したかの表現である」と記しています。 簡単に言うと、人間の健康や病気であるということは、その人がいる環境の変化に適応しようとして、うまくいった人は健康が保たれ、失敗した場合には病気になるということです。
従来の健康や病気という考え方については、人間の臓器が整い、うまく機能していればいいというものでした。 例えると車の試運転をしただけで、完成品として砂漠や氷山のある激寒地へ送り出す。 しかし、工場での条件とはすっかり異なる環境下で、同じように働けるとは限りません。 人間の体もこれと同様です。 検査をして心臓が正常に動き、肺活量も十分で、胃腸や肝機能も問題がないということで健康としています。 実際には基準数値をみてみると、コレステロールは、以前は250を超えなければよいという学会の説が220になりました。 最近では糖尿病学会で空腹時血糖値が100を超えれば糖代謝異常(糖尿病)としていたのが、126を超えなければよいという臨床的な診断が下されています。 このように健康であるか否かは、自覚症状がないのに数値だけで決められているのです。

人間ドックで微細な診断結果を突きつけられることで、健康感を持っていた人が心臓の異常を考えながら階段の上り下りや生活をしているという弊害も引き起こしています。 検査の功罪を見ると、罪の方が多いと考え、数年前の学会で警告した経緯があります。 病気と健康の区別は大変難しいわけです。 一般には医学が進歩すれば病人が減るはずなのに、精密機器の発達などで、小さな異常を見つけることができ、限りなく病人が増えるという逆の結果が起こっているのです。
人間の体は、さまざまな環境や条件の変化(負荷)に対応できるかどうかが問題なのです。 オリンピックのマラソンで優勝した高橋尚子選手の場合、アメリカコロラドの高地でトレーニングをしています。 酸素の不足で赤血球が増え、少量の酸素でも体が耐えられるようになり、平地で楽に走ることができるのです。 彼女の平均心拍数は33です。 普通の女性が70前後ですから、一般の女性より半分以下でも、鍛えた筋肉によって1回の血液拍出量が多くなるため適応をしているのです。
われわれ医療関係者が簡単に測っている体温、呼吸、脈拍にも問題が含まれています。 例えば、体温を測るバイタルシートの場合、37度に赤線が入っており、それ以上であれば微熱、38度を超えれば高熱になります。 しかし高齢者の無熱性肺炎などは気をつけなければいけません。 特に訪問介護などの際に、咳が出ているのに熱は36.5度で、大したことはないと放置しておき重症になることもあります。 この人の平均体温が35度であれば36.5度でも高熱と感じるはずです。 体温は個人個人によって異なることや平均数値にfわされないことが大切です。 聖路加国際病院では三分の二が65歳以上で、37度のシートのラインで判断しないよう指示しています。 熱っぽいからと看護婦さんを呼んだのに「熱なんかないですよ」と言われると、何か見捨てられたような気持ちになります。 熱の有無は自分が熱感を持つことで、その患者の情報をどう解釈するかが医師や看護師の大事な仕事なのです。 37度のラインに引きずられて無熱性肺炎という病気が生まれてきたのです。

これまでの医学や看護では、簡単なバイタルサインの平均値はあっても個別性がありませんでした。 サイエンティフィックなものでなく、習慣的流れでやってきたことが多すぎると考えます。 その一つが、患者さんが亡くなった時の綿花の使用です。 大正時代に書かれた亡くなった人への対応が、そのまま現在でも通用し、必要でない箇所にまで綿花を詰めるのです。 これも習慣で、アメリカなどでは行われていません。 アバウトとしか言いようがありません。
話は変わりますが、私は兵役で丙種合格でした。 1951年にアメリカへ渡った時、レントゲンで胸部に空洞が見つかり、菌の培養で8週間上陸を止められ、強いショックを受けた経験があります。 徴兵を忌避するため、醤油を1升飲み、蛋白尿が出て免れた人があるなど、昔は簡単に健康と病気を区別していたものです。 今は医学の進歩とともに、病気の定義を変えざるを得なくなりました。
人が、ある特別な環境に入った時に上手に体温を調節するなど、適応できる人こそ健康なのです。 例えば大腸菌が入った料理を食べても病気にならない人もあるのですから、本当の健康というのは何かの条件(環境)が変わった時に、これに上手に対応できるかにかかっています。 これこそ進んだ健康に対する定義で、すでに38年前に提唱されているのです。 私は、このデュボスの本と出会い、健やかさの差を定義する一番よい指標になるということを知り、環境に大変な関心をもつようになりました。

本でいえば、一昨年アメリカでベストセラーになり、日本でも90万部を売った「葉っぱのフレディ」という子供のための本に出会いました。 葉っぱの春夏秋冬の変化、散って死に、春に芽吹くという命の移り変わり、死と復活ということを教えています。 そのミュージカルを通じて、子供に死を語れない大人や、死を間近に迎えるお年寄りと一緒に見て考えるきっかけになるものでした。 私はそれを脚色し、東京と大阪で上演しました。
それには私なりの挫折や、子供のころの音楽環境があったのです。 子供のころに腎臓炎になり半年間運動を禁止され、めそめそしていた時に母がピアノを習わせてくれました。 この子供の時の経験が、64年間の医療生活の後であっても、ミュージカルへと突き動かしてくれたのです。
人間は誰でも文学や数などに敏感であったり、天才的な素質を持っているもので、大半がそれらを発揮できないだけのことです。 私の場合はたまたま機会を与えられ、芽が出たもので、来年はもうひとつ「ラブ・イズ・フォーエバー」を脚色し、主題歌も作ってみよう思っています。 私の言う75歳新老人は、彼らが良い遺伝子を使ってこなかっただけなのです。 皆さんにもそれぞれに環境があるはずです。 私は、子供のころの環境のままで行けば音楽家になっていたのでしょうが、シュバイツアーに憧れて、医学者でありながらバッハの素晴らしい演奏者でもある医者になりたいと考えるようになったのです。
子供や患者さんも環境に左右されることが多いのです。 私は、患者さんを「いやし」の環境に置いてあげる研究会の名誉会長にもなっています。 音楽、美術、病院やホスピス環境をどうするかなど、病院が患者をいやすために、いかに努力するかが今後の課題です。 ISOも大切ですが、患者の心にどう響き、体の中でどういやす力をつくり出すかも大切です。 治らないがんでも、モルヒネで痛みを止めながらでも生きがいを感じることができるようになるか。 そのためにはどういう環境がいいか。 音楽やペットを与えればどうなるか、など考えてこそ本当のいやしになるのです。 末期の人が、ペットを待ちながら、明後日には会えると考えるだけで、今日、今を感謝しながら生きながらえることができる。 富士山が見える場所で、とか、フォーレのレクイエムを聴くだけで、死をも恐れなくなられる、それこそいやしであり、患者に望ましい環境ではないでしょうか。

スペースや匂い、絵、花を周辺に生けるなど自然の美を添えるといった環境を整えてあげてこそ、本当のいやしになるのです。 聖路加国際病院では、400ミリのモルヒネの使用患者が、富士山の見える病室で2週間過ごしたら、40ミリにまで減った不思議な例もあるほどです。 そこへ看護師や医師の笑顔が患者さんの一日を生き延びさせるのです。
「われわれは自分たちの建物をつくり上げる。すると今度は、われわれがつくった建物がわれわれをつくり上げるのである」とデュボスが「人間であるために」で書いています。 ですから、つくった環境をそのままにしておくのでなく、イノベーション(革新)が必要であることも申し上げておきます。










