| 先日行われた6か国協議は、何としてでも「アジアの主導権をアピールしたい」中国と、一刻も早く「余り興味のないこの話題」から遠ざかりたいアメリカとの二大国による粋な計らいにより、意外とすんなり声明を出して終了した。
いろいろな国がいろいろなことを述べてはいるが、結局は「ごね得」北朝鮮の一人勝ちだったと言ってよいだろう。
おみごとっ!
1994年米朝合意の再放送みたいな陳腐なニュースであったが、北朝鮮が今回の約束事こそはしっかり守ると信じている人は殆どいないだろう。
下世話な例えで申し訳ないが、近隣でミサイルまで打ち込まれている日本にしてみれば、近所に住んでる「ゴミおじさん」に「ゴミを捨てないように」と注意したら、なぜかゴミの撤去費用と清掃中の休業補償と慰謝料まで要求されたようなもので全く納得いかない。
しかも、この「ゴミおじさん」は10年ほど前にも同じことを言ってお金をもらったのに、またゴミを溜め込んでいたのだ。
今回の件で唯一評価しても良いのは、拉致問題が解決しない以上は資金提供しないと断言した日本の態度か。
しかし、これは出航直後から転覆の危機にさらされている安倍内閣にしてみれば、絶対に譲れない生命線であるし、第一、米朝合意の際に日本は450億円以上の軽水炉建設費を既出している。
ちなみに日本が1993年度から3年間で支出した300億円のODAにより1999年に完成した北京国際空港は、債権者である日本に断りもなく2000年に香港で上場し、強い批判を浴びたにもかかわらず、今度は上海証券市場でも株式上場による市場からの約600億円の資金調達を計画しているそうだ。
最近は長白山や孔子、高句麗問題で揉めているこれら似た者同士の近隣諸国だが、共通しての感想は、近隣諸国がどうこうというよりも「日本の外交はマヌケだなー」と言ったところだろうか。
ところでアメリカが一刻も早くこの話題から離れたかったのは、当然イラク情勢から手が離せないという事情が大半を占めるのだとは思うが、現在もまだ進行中のこの戦争はいったい何なのか?
もちろん石油利権の争奪が大きな要因であることは確かだが、一方で宗教戦争としての意味合いも強いと言われている。
実はここが私にはわからない。
無宗教だから?
…でも、本当はおそらく殆どの日本人に実感はないのではなかろうか?
皆さんもご存知のように、日本は世界的にも珍しい多宗教国だ。
お正月には神社でお賽銭を投げ、お盆はお墓に参り、クリスマスにはシャンパンを飲んで「Merry Xmas!」とちょっと巻き舌で叫ぶ。
そういえば知り合いの宮司さんが「先日、仏教大学と同志社の入学祈祷を頼まれたけど、うちは神社なんやけど…」
とおっしゃっていた。
(結局「背に腹はかえられん」ので祈祷されたそうです。)
これこそが、いい加減な国・日本…?
いえいえ、私はそうは思いません。
(ただし、宗教に関しては全くのド素人なので、以下は得意の超・私的意見、間違っていたら笑って許して。)
砂漠などの絶望的な自然の力の中で暮らす人々には、厳しい現実から精神的な支柱となってくれる唯一神が必要な気がする。
それに対して、日本は古来四季に恵まれた自然の中で、時には厳しく、時には優しく人に影響を与える自然の一つ一つに神が宿ると考え、畏怖し、また感謝してきた。
本来の正確な意味とは違うかもしれないが、「八百万の神々」という発想はここに由来するような気がする。
話し変わって、現在、商業捕鯨についての会議が日本で行われているが、これは殆どの欧米人にはまず理解されない話だろう。
彼ら反捕鯨派の表面上の理論は、「鯨は頭が良い、だから殺したらダメ。豚や牛は全然OK!」
というものだ。
しかし、環境保護団体からの意見として考えるとこれは矛盾している。
牛や羊などの反芻動物は、食べた草や穀物などを、「第一胃」に生息する微生物の発酵作用により分解し、体内に取り込んで栄養源とする。
この時に産生されるのが二酸化炭素、メタンガスなどの温室効果ガスだ。
これらガスの約90%は、あいき(ゲップ)として大気中に放出されてしまう。
メタンガスもバイオエネルギーとして活用するには良いものだが、実はメタンガスは二酸化炭素より20倍も温室効果が高いとされているので大気中に放出される分には困ったものとなる。
たかが牛のゲップなどと笑ってはいられない。
一頭の乳牛からは毎日500リットルものメタンガスが排出されるそうだ。
積もり積もって、世界中の牛たちのゲップから放出されるメタンガスの総量は、大気中の全メタンガスの25%にも達すると言われているのだ。
まさか牛の口を押さえつけ続けるわけにもいかないだろう。
第一、勝手に増やされて乳を搾り取られて、挙句の果てに食べつくされる悲運の牛達にもゲップの自由くらいは残しておいてあげたい気もする。
ところで、全ての商業捕鯨を凍結する「商業捕鯨モラトリアム」が採択された1986年以後鯨の数は本当の所どうなったのか?、
このたび、国際捕鯨委員会(IWC)による調査により驚くべき事実が報告された。
かつて乱獲の対象となったシロナガスクジラ等の一部の大型種を除き、小型の種、特にミンククジラが異常繁殖して自然界の生態系まで変わり始めてしまっているというのだ。
この事実から推測するに、南マグロを中心としたマグロの水揚げ量の激減、近海・遠洋を含めた小魚類の減少など、鯨と同水域に生息する魚類に起きている現実との因果関係に疑う余地はないだろう。
人間は自然摂理の中で生きている。
人間が鯨を食するのも食物連鎖の一部だった。
温暖化現象のみならず、ごく一部の強い立場に立つ人間の「常識」(=グローバルスタンダード)がこの環を切ったがために、地球上で様々な歯車が狂い始めている。
そもそも、鯨の減少というものは少数民族である日本人が狂ったように鯨を食べつくしたということが原因では決してない。
欧米各国において、鯨は元来「鯨油」、つまり脂をとるために捕獲されていた。
特に、石油の利用がまだ普及していなかった時代には鯨油は重要な燃料であった。
黒船のペリー提督が、アメリカ捕鯨船の寄港先を得るために日本への開国要求をしたことは有名な話だ。
つまり、自国周囲の鯨を獲り尽くしてしまったアメリカは、日本周辺まで鯨を求めて黒船を繰り出してきたのだ。
欧米では、鯨を食べる文化は一般的ではない。
脂を剥ぎ取られた鯨は、そのまま海に投棄された。
それに対して日本人は、鯨の偉大さや強さを神のように崇めた上で、自らも命を懸けて戦いに挑み、勝利しその命を食してきた。
脂を取り、肉や内臓を食すことはもちろんのこと、皮やひげまで工芸品の材料として余すところなく有効に利用してきた。
そしてその上で鯨に感謝し、供養してきたのだ。
捕鯨漁師は確かに鯨の中に神を見たのだと思う。
それこそが全てに感謝する日本人の美しさであったのではなかろうか。
捕鯨調査船に近づいて火炎瓶を投げ込むような「環境保護団体」に振り回されて、「グローバルスタンダード」を押し付けられているうちに、日本人本来の感謝の心は忘れられてきたように思う今日この頃だ。
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